いま私が使っているパソコンは非常に重い。この「重さ」は、もちろん物体としての質量のことではなく、その動作の「重さ」のことである。今日のパソコンは、ネットワークを経由してデータをやり取りし、外部機器と接続・共有されることを前提として使用されている。これは、進化を続ける外部への適応能力(互換性)を更新し続けていくことが使用者に課せられるということだ。つまりパソコンの「パーソナル」な側面と、外部との関係性はその価値(value)を語るうえで不可分なのである。
2000年代以降、パソコンの均質化によって、その市場では性能=数値=価値という等号があらわになる。私は取り急ぎ「彼」の延命のため、2TB(Tera Byte)—約1万円のHDDの購入を図る。これが現在のテラの価値(worth)である。テラ(tera)とは国際単位系における接頭辞のひとつで、基礎となる単位の一兆倍の量であることを示す。その語源はギリシャ語で「怪物」、ひとつ下の単位であるギガ(giga)は「巨人」、さらにその下のメガ(mega)は「大きい」という言葉に由来する。古来より巨人とは、人間の倍ほどの大きさから雲を衝くまでの巨体の怪物とされる。つまり「怪物」とは、可変的な存在なのである。いま、この鈍重な身体をもって成し得ることは、光速を超え、膨張し続ける怪物を「再び」組み伏すことではなく、みずからを「リヴァイアサン」化し、各人の胸中に生きる根本原理に従い、多少の趣味をもって、この世界(terra)を評価することではないか。